※この記事は2024年5月に更新しました。
いまやメインMCとして冠番組まで持つ有吉さん。最初は一発屋として消えていく芸人さんと誰もが思いましたが、真の実力の持ち主として返り咲きを果たしました。
そんな有吉さんですが、実は元々「オール巨人」さんの弟子だと知っていますか?また、同期にはケンドーコバヤシさんなどがいますが、あまり知られていない芸歴や、プロフィールや有吉さんの半生についてご紹介します。
スポンサーリンク有吉弘行の芸歴は「オール巨人の弟子」時代から!?
有吉さんは1993年の高校生の時、読売テレビの番組「EXテレビ」の企画「公開弟子審査会」に合格し、オール巨人に弟子入りした正真正銘の弟子でした。
元はNSCに入学する予定で受験もしましたが、たまたまEXテレビの企画に合格したため、図らずも芸人(内弟子)としてデビューすることに。
有吉さんの芸歴スタートはここからとなりました。
兄弟弟子に暴行 ケガを負わせて逃亡した過去
しかし、弟子になってから8か月後、兄弟弟子と喧嘩になり相手にケガを負わせてしまったことで、巨人師匠より謹慎処分を言い渡されます。
その間に、不義理にも勝手に師匠の元を離れ、地元の同級生・森脇和成さんとコンビ『猿岩石』を結成。太田プロからのデビューが決まった1995年、巨人師匠の楽屋に行ったところ、正式に破門を言い渡されました。
この頃から「有吉イズム」のようなものは、発揮され始めていたのかもしれませんね。
スポンサーリンク芸歴はケンドーコバヤシと同期??
有吉さんは巨人師匠の弟子になった1993年に芸歴をスタートさせ、2024年で31年を迎えました。
一方、NSC大阪校11期生として1992年に入学し、翌93年にデビューしたケンドーコバヤシさんは同期です。吉本の芸人さんは基本養成所(NSC)に入学してからプロになるのがほとんどですが、有吉さんも入学する予定でしたが巨人師匠の弟子になったため、そのまま芸歴をスタート。
分かりにくいスタートとなったため、案外、同期が誰か?は知られていません。
同期には「ふかわりょう」「劇団ひとり」「中川家」など
同期には『ケンドーコバヤシ』さん、『中川家』、『ハリウッドザコシショウ』さん、『ふかわりょう』や、劇団ひとりさんなどがいます。
ピン芸人として成功されている芸人さんが多い世代で、ストイックに自信の笑いを今なお追い求めるプレイヤー気質の芸人さん、MC業を中心として冠番組を持つ芸人さんも多いですね。
芸道を究めるハリウッドザコシショウさんも、有吉さんの同期にあたります。
有吉は若手時代から「凄かった」と劇団ひとりが回想
有吉さん(猿岩石)とは「完全なる同期だった」と語る劇団ひとりさんは、猿岩石ブレイクのきっかけとなった「進め!電波少年」のオーディションに自身も参加していたそうですが、「猿岩石の方が先にネタ番組に呼ばれていて。俺は勝てなかったから」と回顧していました。
ちなみに、当時の猿岩石はかなり尖った芸風で、「森脇君のケツにさんまをぶちこむ、っていう。生のさんまをケツにぶちこんでた」とひとりさんは語っています。
今は放送できないような芸ばかりですね。。
『猿岩石』名前の由来は女子から!?
コンビ名の由来は、中学校の同級生であだ名が「猿女房」「ほくろ岩石」という女の子がいたそうで、それぞれの「猿」「岩石」を取って『猿岩石』と命名しました。
「猿女房」の由来は、猿に似ている男の子と付き合っていたことから、「ほくろ岩石」の由来は、顔に岩石のように大きなほくろがあったことからきています。
スポンサーリンク有吉弘行の身長・体重 プロフィール
芸名 | 有吉 弘行(ありよし ひろゆき) |
本名 | 有吉 弘行(ありよし ひろゆき) |
生年月日 | 1974年5月31日 |
身長 | 172cm |
体重 | 62kg |
血液型 | A型 |
出身 | 広島県安芸郡 |
趣味 | 広島カープ観戦、大仁田厚(プロレス)、読書 |
特技 | 柔道、格闘技、野球 |
事務所 | 太田プロダクション |
芸歴 | 31年 1993年~ |
旧コンビ | 猿岩石 |
元・相方 | 森脇和成 |
担当 | 元・ボケ |
お笑い芸人として芸歴をスタート
有吉さんの芸歴は1993年、養成所へは行かず『オール阪神・巨人』の巨人師匠に弟子入りして芸人としてのキャリアをスタートさせました。
当時、NSC大阪校11期生として受験もしていますが、合否が発表される前に企画に参加したため、そのまま入学はしませんでした。
しかし、弟子入りして早々に兄弟弟子と喧嘩をし、相手にケガをさせてしまうトラブルを起こしてしまい、巨人師匠からは謹慎処分を言い渡され故郷の広島に帰省します。その時、小中高と同級生だった森脇さんと1994年に『猿岩石』を結成。巨人師匠からは正式は破門が言い渡されました。
スポンサーリンク「進め!電波少年」の「ヒッチハイクの旅」で大ブレイク!!
2年後あの有名な『進め!電波少年』のオーディションに合格。
同番組の企画「ヒッチハイクの旅」に出演し、ヒッチハイクのみで世界一周に挑戦。爆発的なブームになりました。
有吉「いまだに昔のスタッフに『ちょっとどうかしてる』扱いされるけど、電波少年でオレ、ゴールして泣いてないからね」「ゴールしたときにオレ思ったのは、『このクズどもめ』『やっと終わったぜ』(笑)」/『かりそめ天国』19/6/5 pic.twitter.com/gKQTR92hPJ
— 飲用 (@inyou_te) June 4, 2021
藤井フミヤ・プロデュース「白い雲のように」がミリオンヒット達成!
ヒッチハイクの旅に挑戦する猿岩石の2人に向け、元・チェッカーズの藤井フミヤさんは、プロデュースの楽曲「白い雲のように」をプレゼント。
旅のゴールを迎えた2人は、正式に「白い雲のように」をリリースし、150万枚を超えるメガヒットとなるなど、一躍時の人となりました。
CDや著書などが爆発的なセールスをあげる中、肝心な本業であるお笑いで結果を出せず、その後7~8年間は地元広島のローカル局の出演以外無くなり、生活もままならない状況が続きます。
そして2004年、ついに猿岩石は解散しました。
元・相方の森脇和成さん 解散その後
相方の森脇さんはかねてより副業でサパークラブ当の飲食店経営などを行っており、解散と同時に実業家になりますが、いくつもの事業を転々とし、結婚・離婚も経験したのち、2015年に「しくじり先生 俺にたいになるな!!」に出演。
それをキッカケに芸能界に電撃復帰すると宣言し辺見プロモーションに所属しますが、ほどなく所属リストから外れ、現在はフリーとして活動されています。
復帰の件については、芸人界隈から冷ややかな声も少なくないのが現実です。
「おしゃべりクソ野郎!」から二発屋へ!
2007年『アメトーーク』にて、『品川庄司』の品川さんのことを「おしゃべりクソ野郎」とあだ名を付けたのが爆笑を呼び、年間の番組流行語大賞を受賞。
「おしゃクソ」と略語も作られ、”人を馬鹿にするあだ名”を付ける才能が買われ、当時はどの番組でも共演者にあだ名を付けさせられていました。
すべては有吉の品川庄司・品川に対する「おしゃべりクソ野郎」から始まった…!(?)
— nomihata (@annex1005) October 1, 2023
二発屋では終わらず、MCの座を勝ち取った!
当時、「おしゃクソ」旋風により再び出演回数が増えた有吉さんは、自虐気味に自身を「二発屋」と言っていましたが、そこで確実に自身のキャラを確立させていきました。
その流れに乗って毒舌キャラとして2度目のブレイクを果たし、2011年には年間テレビ出演本数ランキング1位になるなど、確固たる地位を確立し現在に至ります。
アナウンサー・夏目三久と結婚 子供は?
また、プライベートでは2021年4月、「マツコ&有吉の怒り新党」(テレビ朝日)で共演していた人気アナウンサー夏目三久さんと結婚され、こちらも大いに話題を呼びました。
2024年5月時点で結婚生活3年を越え、24年3月に第一子が誕生したと報道されています。
しかし、秘密厳守のため出生日・名前も非公開となっています。
出典:有吉弘行&夏目三久夫妻に第1子誕生 性別は「発表しない」 ラジオで報告
スポンサーリンクまとめ
【有吉弘行】さんのの旧コンビ名の由来、芸歴と経歴、同期芸人は誰だ?などをご紹介しました。
- 有吉さんはオール巨人師匠の元・弟子だった
- ケンドーコバヤシさんとは同期
- 『猿岩石』コンビ名の由来は高校生の時の女の子のあだ名「猿女房」「ほくろ岩石」から取った
- 有吉さん再ブレイクのキッカケは品川庄司の品川さんへ放った「おしゃべりクソ野郎!」だった
- 一発屋→二発屋→メインMCと勝ち取っていった過去
- 元・アナウンサーの夏目三久さんと結婚し、2024年3月には第一子が誕生
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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