※この記事は2024年4月に更新しました。
今や日本お笑い界にとって欠かすことのできない存在であり、生きるレジェンドであるダウンタウン。その40年を超える長い芸歴ゆえ、デビュー当時のことや同期の芸人さんが誰なのか?については、あまり知られていません。
そんなダウンタウンの過去に遡って、デビュー当時の人気についてや同期の芸人さんは誰なのか?同期で一番最初に売れたのは誰なのか?などについてご紹介していきます。
スポンサーリンク- ダウンタウンはエリートでは無かった!?
- ダウンタウンの同期で最初に売れたのは誰??
- NSC1期生の栄光と現在とは!!
- トミーズの栄光と現在(2024年4月)
- ハイヒールの栄光と現在(2024年4月)
- 内場勝則さんの栄光と現在(2024年4月)
- おかけんた・ゆうたの栄光と現在(2024年4月)
- ジミー大西さんの栄光と現在(2024年4月)
- 濱根隆(濱根・杉本)の栄光と現在(2024年4月)
- 前田政二(銀次・政二)の栄光と現在(2024年4月)
- タイヘイ銀次(銀次・政二)の栄光と現在(2024年4月)
- 岡田和幸(ミモ・ファルス)(チャンバラJr.)の栄光と現在(2024年4月)
- 山田幸伸(コンビ名不明)の栄光と現在(2024年4月)
- 藤原桂造(うのっちょ・いもっちょ)(ザ・ポテト)の栄光と現在(2024年4月)
- クリスタル大坪さんの栄光と現在(2024年4月)
- 『とんねるず』と『ダウンタウン』は同期?
- 『ウッチャンナンチャン』と『ダウンタウン』は同期?
- 『ヒロミ』と『ダウンタウン』は同期?
- 【ダウンタウン】のプロフィール
- まとめ
ダウンタウンはエリートでは無かった!?
ダウンタウンがNSC1期生として入学した当時は、1980~1982年のごく短い期間にかけて起こった「第一次漫才ブーム」が終わり、お笑いファンの年齢層中高年世代→若者世代に変革期を迎えた時期でした。
そんな中、「次世代スターを生み出す」目的などを掲げ、吉本興業の芸能養成所である『吉本総合芸能学院(通称NSC)』が誕生し、ダウンタウンはその1期生として入学しました。
入学わずか2ヵ月でテレビに初出演し、『素人名人会』にて新人賞、翌月には『第3回今宮子供えびすマンザイ新人コンクール』で福笑い大賞を受賞するなどのスピードで功績を打ち立てていきます。
当時お笑い芸人を目指す場合は、師匠を見つけて弟子入りして内弟子になり、付き人として師匠のサポートをしながら芸を教わるというスタイルが一般的で、NSC生のような学生は厳しい芸人の世界で疎まれる存在だったようですが、それらの功績を買われてダウンタウンは異例の早さでなんば花月(現在のなんばグランド花月:通称NGK)への特別出演も果たしました。
しかし、デビュー間もない頃は「新しい」漫才スタイルだったダウンタウンのネタは大衆には受け入れられず、決して最初からエリート街道まっしぐらだったわけではありませんでした。
当時のダウンタウンは「劇場の観客の1~2割でも自分たちの笑いを分かってくれたら良い」というスタンスだったそうで、ダウンタウンの笑いが受け入れるまでには少しだけタイムラグがあったそうです。
そんな状況でも自分たちが面白い!と思うスタンスを崩さずやり続けた結果、徐々にダウンタウンの笑いは若い世代を中心に受け入れられるようになり、数年後には凄まじいダウンタウンムーヴメントが起こってまさしく「スターダム」を駆け上がっていくことになりました。
同期であるハイヒール・リンゴさん、元・銀次・政二の政二さん、トミーズ・健さんも、デビュー当時のダウンタウンについて「はじめから完成されていた」と語っています。
■コンビ名の意外すぎる由来とは!? 5回の改名とその由来を徹底解説!!
スポンサーリンクダウンタウンの同期で最初に売れたのは誰??
ダウンタウンの同期であるNSC1期生は、記念すべき初のお笑い芸人養成所から輩出された世代で、2024年4月現在でもそれぞれが確固たる地位を築き、ベテランとして活動をしています。
その中で一番最初に売れていたのは、結果からお伝えすると意外にもダウンタウンではなく『トミーズ』でした。
トミーズはまだ第一次漫才ブームの風潮を残した芸風で、観客が10人いたら9人が笑うようなネタを作って演じていたそうで、ブームの中では非常に受けが良かったそう。新たなムーヴメントであったダウンタウンはデビュー当時は大衆にはすぐに受け入れてもらえなかったのです。
トミーズが10分の劇場出番枠をもらっていたのに対し、残りの『ハイヒール』『ダウンタウン』『銀次・政二』などで15分の枠を分け合っていた、とハイヒール・リンゴさんは回顧しています。
また、トミーズはNSCを卒業後すぐの1983年、『NHK上方漫才コンテスト』で最優秀賞、『ABC漫才・落語新人コンクール』で最優秀新人賞を受賞。デビュー3年目にして初の単独ライブを行うなど、当時は同期一の出世頭でした。
スポンサーリンクダウンタウン松本人志とトミーズ雅の確執
ダウンタウン松本人志さんとトミーズ雅さんは長らく共演NG状態となっていました。
事の発端は、まだデビュー間もない時期のことですが、雅さんは元ボクシング・スーパーウェルター級王者でガタイも良く、年上だったこともあり、同期の中では頼りがいのある「お兄ちゃん」的な存在でした。
しかし、『ABC漫才・落語新人コンクール』で最優秀新人賞を獲ったことで天狗になり、明らかに同期に対しての態度が急変したそうです。
そして、徐々にダウンタウンの人気に火が付き、それと反比例するかのようにトミーズの人気が低迷し始めると、松本さんは自身のラジオ番組で「トミーズ終わった」と発言。これに憤りと嫉妬心を燃やした雅さんは「お前3分で殺せるけどな。やっぱやめとくわ。でも腹立つねん」と松本さんに対して挑発的な発言をしたことで、2人の確執は決定的なものとなり、その後の共演は長らくありませんでした。
■東スポWEB『松本人志とトミーズ雅が〝共演NG〟のきっかけ語る「お天狗になりだして」「お前3分で殺せる」』
2020年12月12日、トミーズがMCを務める毎日放送「せやねん! 祝1000回 関西のみ~んなに感謝せんかい!SP」に松本さんはVTR出演し、当時について赤裸々に語り、それを観た雅さんは「完全に俺のねたみ。」と過去の嫉妬心にかられた自身の失言や行動について振り返りました。
しかし、2024年4月現在に至るまでも共演は未だ実現していません。
■コンビ名の意外すぎる由来とは!? 5回の改名とその由来を徹底解説!!
スポンサーリンクNSC1期生の栄光と現在とは!!
NSC1期生はどのような芸人さんが居るのか?2024年4月現在の活動有無も含め、一覧にまとめました。
コンビ(トリオ)数で11、人数で16人をリストアップしましたが、現在も芸人さんとして活動しているのは約半数となり、その中で知名度が全国区で全国放送のテレビ番組レギュラーに出演しているのは『ダウンタウン』のみとなっています。
スポンサーリンクトミーズの栄光と現在(2024年4月)
トミーズはダウンタウンよりも先に人気に火が付き、同期では稼ぎ頭だったものの、新しい漫才スタイルでありながら伝統的な正統派「しゃべくり漫才」の王道を行き、若いファンを次々と獲得していったダウンタウンに太刀打ちできないと感じるや、雅さんの元ボクサーという経歴を生かして『ボクシング漫才』というネタを生み出し、これも大いに受けました。
その後はダウンタウンに続いて1993年より『森田一義アワー 笑っていいとも!』のレギュラーを勝ち取るなど人気を得るも、ボクシング漫才の人気も長くは続かず、活動の拠点を全国区に広げることはできませんでした。
2024年現在は、関西で活動しておりコンビ合わせて4本のレギュラー番組を持つに留まり、トミーズとして持っている冠番組は『せやねん!』(MBS)のみとなります。
ASAGEI「東京から干された?和田アキ子をボコったベテラン芸人とは?」
スポンサーリンクハイヒールの栄光と現在(2024年4月)
日本で唯一ダウンタウンと対等に接することができる女性お笑い芸人コンビ。NSC時代~デビュー当時は4人で居ることが多くグループ交際状態で、互いに友達以上恋人未満状態の存在だったそう。浜田雅功さんの妻・小川菜摘さんとモモコさんが大親友であることでも有名です。
デビュー当時は美人女性コンビとして人気を博し、テレビ番組の企画により南極で漫才を敢行し「世界最南端での漫才」という記録を打ち立てるなど、様々な企画にも体当たりチャレンジしていたようです。
ハイヒールは同期のダウンタウンの異次元的面白さの漫才と、凄まじいスピードでスターダムを駆け上がる姿を目の当たりにし、「自分たちは2番で良い」と素直に思ったそうです。
そんなハイヒールのお2人は関西で活動を続けており、2024年4月現在でもコンビ合わせて10本以上のレギュラー番組出演を持つ人気ベテラン芸人さんです。
女性のベテラン芸人さんというのがそもそも居ないため、ハイヒール・モモコさん、リンゴさんは非常に貴重な存在です。
■スポニチ「夫死去のハイヒール・リンゴ 5週続けてレギュラー生番組を欠席」
スポンサーリンク内場勝則さんの栄光と現在(2024年4月)
ダウンタウンの同期で唯一、吉本新喜劇メンバーを貫いているのが内場勝則さんです。
内場さんは1989年に吉本新喜劇再生プロジェクトで既存の団員をフレッシュなメンバーと入れ替える「吉本新喜劇やめよッカナ?キャンペーン」にて、リストラ対象となったものの、これを拒否し残留。
そして、同じくリストラに遭うもともに残留した新喜劇メンバーであり1年先輩の「未知やすえ」さんと1992年に団員同志で結婚。
新メンバーとなったNSCの後輩である今田耕司さん、東野幸治さん、130Rなど後の『ごっつええ感じ』メンバーなどとともに腕を磨き、彼らが東京進出のため抜けた後も新喜劇を支え、1995年からは辻本茂雄さん、石田靖さんとともにニューリーダーとなり、ボケ・ツッコミともに器用にこなし、どんなキャラでも演じ分ける「スーパー座長」と呼ばれ、新たな新喜劇の礎を築いた立役者となりました。
2024年4月現在、座長を勇退しベテラン団員として新喜劇で活動されています。
■NIKKAN SPORTS『ミスター新喜劇・内場勝則 地獄を見たから語れる「こんな素晴らしい仕事は他にない」』
スポンサーリンクおかけんた・ゆうたの栄光と現在(2024年4月)
「ええ声ぇ~~~!」、ドナルドダックのモノマネでお馴染み『おかけんた・ゆうた』のお2人は、1986年にはダウンタウンらとともに心斎橋2丁目劇場の看板芸人『2丁目探検隊』として活動するなど人気を博しました。
ダウンタウンが東京進出し心斎橋2丁目劇場が無くなってからは、活動の拠点をなんばグランド花月に移して漫才を続け、1999年には上方漫才大賞を受賞するなど高い評価を得ます。
しかし、ゆうたさんが体調を崩し2020年ごろからコンビとしては、ほぼ活動休止状態が続き、2023年8月に脳内出血によりゆうたさんが急逝。
2024年4月現在は、おかけんたさんがピンで活動されています。
■日刊スポーツ『銀次・政二の前田政二氏、NSC同期のおかゆうたさん悼む「一緒に欽ちゃんオーディションを…」』
スポンサーリンクジミー大西さんの栄光と現在(2024年4月)
NSCには入学していないものの、ダウンタウンの同期として忘れてならないのが『ジミー大西』さんです。
勉強が苦手で漢字がまともに読めないなど数々の伝説を残すジミー大西さんですが、『ザ・ぼんち』のぼんちおさむさんの弟子としてお笑い芸人のキャリアをスターとさせ、明石家さんまさんに見いだされて一躍人気の芸人さんとなりました。
1996年には絵画の才能発揮して画家に転身。あの有名画家・山本太郎さんからも「君は画家になりなさい」と手紙をもらうほど周囲からは賞賛を受けていたそうです。
2024年4月現在は、画家としての活動をつづけながら、籍は吉本興業に置いたままにしており、芸人さんとしての活動しています。
スポンサーリンク濱根隆(濱根・杉本)の栄光と現在(2024年4月)
濱根隆とは、トミーズ雅さんが健さんと『トミーズ』を結成する前の相方で、コンビ名は『北村・濱根』でした(雅さんの本名は北村雅英)。
『北村・濱根』は結果を残せずあえなく解散しましたが、その後も濱根さんは花月の舞台を中心に活動を続け、1991年には杉本美樹さんと『濱根・杉本』を結成し、エアコンクリーニング店『びっくりエアコン』の経営と二足の草鞋を履く”兼業お笑い芸人”として活動。
NSC1期生の縁で、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』や、トミーズのラジオなど度々メディアにも出演しています。
2024年4月現在は、大谷翔平にあやかって「エアコンクリーニングと芸人の二刀流」と自称して、兼業お笑い芸人を続けています。
スポンサーリンク前田政二(銀次・政二)の栄光と現在(2024年4月)
元はピン芸人だった政二さんですが、同期の菅野銀次さんと『銀次・政二』を結成し、『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ)ではのコーナー「お笑い君こそスターだ!」では5週連続勝ち抜いてグランドチャンピオンに輝き、デビュー直後からテレビ出演を果たすなど人気を博しました。
しかし、コンビ不仲によってわずか3年の活動期間をもって1985年にコンビ解散。その後政二さんは、事務所移籍などを経て、2024年4月現在では放送作家・タレントとして活動しており、NSCに講師も務めています。
また、ダウンタウンの浜田雅功さんとは現在でも親交が深く、浜田さんの冠番組『ごぶごぶ』では政二さんと定期的に会うために関西ローカル番組を始めたことも明かされているほど。
2024年4月現在は、政二さん自身NSCにはかなり深い思い入れがあるようで、同期の内場さんが主演する新喜劇の台本を手掛けるなど、講師も含めて様々な形で現在もNSCと関わりを続けています。
スポンサーリンクタイヘイ銀次(銀次・政二)の栄光と現在(2024年4月)
コンビ不仲により『銀次・政二』を解散した銀次さん。当時は血の気が荒かったようで漫才の出番中に舞台に足をかけて観ていた観客の態度に激高して乱闘したとうエピソードが残っているほどです。
コンビ解散後は新喜劇に出演し、先輩コンビ『太平サブロー・シロー』に弟子入りして芸名を『タイヘイ銀次』に改名して活動していましたが、数年で吉本興業を退社。松竹芸能に所属し2000年にはコンビ『銀秀』を結成して活動していましたが解散。
@M_mayum_iii_wwタイヘイ銀次は、俺がコンビを解散した後に 元相方が使ってた芸名です DM送ったよ♪
— 前田政二 (放送作家・演芸作家) (@seiji8888) December 28, 2010
2024年4月現在は元相方の前田政二さんも連絡が取れず、音信不通となっているようです。
スポンサーリンク岡田和幸(ミモ・ファルス)(チャンバラJr.)の栄光と現在(2024年4月)
岡田和幸さん・小畑圭司さん・米原正毅さんからなるトリオ『ミモ・ファルス』として活動していた岡田さん。トリオ内でNSC1期生なのは岡田さんのみでした。
1988年に「第9回ABC漫才・落語新人コンクール」で最優秀新人賞に輝くなど結果を残し、持ち前の運動能力の高さから『吉本の少年隊』と呼ばれ、若い世代の人気を得るなど活躍しますが、1990年ダウンタウンの東京進出に伴い主戦場だった心斎橋2丁目劇場の人気低迷に伴い、トリオも解散。
その後、元相方の小畑さんは『小畑・谷口』、米原さんは『チェイサーズ』とそれぞれコンビを結成するも後に解散。
岡田さんもチャンバラトリオの弟子である時代劇ユニット『チャンバラJr.』にメンバーとして活動しますが、1990年にお笑い芸人を引退。
2024年4月現在は”俳優”として活動されています。
スポンサーリンク山田幸伸(コンビ名不明)の栄光と現在(2024年4月)
岡田和幸(ミモ・ファルス)(チャンバラJr.)さんと最初にコンビを組んだのが、実は山田幸伸さんでした。
コンビはわずか1年未満で解散し名前も不明ですが、その後は三宅裕司さん主催の『劇団スーパー・エキセントリック・シアター(通称:SET)』に入団し、1987年には同劇団所属だった俳優・岸谷五朗さん、寺脇康文さんらと共に、コントユニット『SET隊』を結成してコントを披露していました。
2001年には17年在籍したSETを退団。
2024年4月現在は、自身プロデュースの公演や他劇団への客演を始め、テレビドラマや映画出演などをされています。
スポンサーリンク藤原桂造(うのっちょ・いもっちょ)(ザ・ポテト)の栄光と現在(2024年4月)
1982年に宇野栄二さんとコンビ『うのっちょ・いもっちょ』を結成し、『ザ・ポテト』に改名するなど試行錯誤しますが振るわず1986年に解散。
同年に相方だった宇野さんは青野敏行さんと『ポテトフライ』を結成し、翌年には「第17回NHK上方漫才コンテスト」で優秀賞を受賞するなどその後の活躍を期待されていましたが、1990年にコンビ解散。
その後の藤原さんは『原桂太』『原SHOW太』『ダービー原』『ダービー藤原』など次々と芸名を改名するなど試行錯誤し、小相場のぬいぐるみを背負って各地に出没し、ゲリラ的に街頭実況を行うなどして『馬おじさん』と呼ばれました。
2021年10月、2度目の西脇市市議会議員選挙に立候補して見事に当選。
2024年4月現在は、西脇市議会議員として活動しています。
スポンサーリンククリスタル大坪さんの栄光と現在(2024年4月)
「関西お笑い界のシーラカンス」とも言われる、”知る人ぞ知る”芸人・クリスタル大坪さん。
NSC1期生とされていますが詳しい情報は残っておらず、デビュー時期も1991年と卒業からかなり期間が空いていることなど謎だらけの人物です。
2024年4月現在は、漫談家として活動されており、前述の藤原桂造とはコンビ『おじさんブラザーズ』を結成し、M-1グランプリ2008に出場しており、その後も果敢にM-1グランプリなどの賞レースにチャレンジしています。
今月の私の出番😃
— クリスタル大坪 (@Battle0615) September 17, 2020
25日 M1予選1回戦 愛と笑いと 光の中へ
26日 関西しゃべくり話芸大賞
予選 出番 15時半
26日 コメスタ
27日 ナイトオブコメディ
19時 開演
■コンビ名の意外すぎる由来とは!? 5回の改名とその由来を徹底解説!!
スポンサーリンク『とんねるず』と『ダウンタウン』は同期?
ダウンタウンに勝るとも劣らないベテランお笑いコンビ『とんねるず』ですが、実はダウンタウンより先輩です。
ダウンタウンがNSC1期生として1982年に入学し、同年にデビューしているのに対し、とんねるずは1980年にコンビ結成して同年デビューを果たしており、ダウンタウンより2年先輩となります。
2014年の『森田一義アワー 笑っていいとも!』最終回まで、30年近くほとんど共演が無く、不仲説が囁かれるなどしていましたが、実際不仲では無かったそう。
しかし、長らく日本お笑い界の頂点に君臨するダウンタウンは、年齢・芸歴ともに先輩であるとんねるずのお2人を「どう呼んだら良いかわからない」として、名前すら口に出すことはありませんでした。
スポンサーリンク『ウッチャンナンチャン』と『ダウンタウン』は同期?
こちらも不動の地位を確立している人気お笑いコンビですが、ウッチャンナンチャンはダウンタウンの後輩です。
ウッチャンナンチャンのデビューは1984年と、ダウンタウンに対して2年後輩にあたります。
この両コンビの関係性ですが、とんねるずとは対照的に実は非常に仲が良く、ダウンタウンが東京進出した際に初のレギュラー番組となった『夢で逢えたら』で2つのコンビは長い間共演しており、互いに「松ちゃん」「浜ちゃん」「ウッチャン」「ナンチャン」と先輩後輩の仲を越えた関係性を気付いています。
特に松本さんと内村さんは仲が良いようで、度々互いの窮地では気遣いを見せたりテレビでも共演し、それぞれの想いを伝え合うなど親交の深さを隠していません。
あらためて、大御所の2コンビが協力して面白い番組を作ってくれたらファンは堪らないですよね!
スポンサーリンク『ヒロミ』と『ダウンタウン』は同期?
1990年代に人気の絶頂期を経験し、その後10年間芸能界から遠ざかった後、再びカムバックしたヒロミさん。
ヒロミさんはダウンタウンと共演した際にも仲良さそうに互いに「タメ口」で会話するのが印象的ですが、実はダウンタウンより芸歴は4年後輩にあたります。
ヒロミさんは1986年から芸能活動を始めており、トリオ『B21スペシャル』の中心人物として、1990年代絶大な人気を誇りました。今も昔も媚びないスタンスと愛妻家として知られていますが、そんなヒロミさんの性格を理解し、ダウンタウンも芸歴の壁を越え、対等な立場でお付き合いされています。
ちなみに、私の知る限りダウンタウンが後輩でタメ口を許している芸人さんは、ウッチャンナンチャンとヒロミさんだけ。数少ない対等な立場でダウンタウンと親交がある稀有な存在です。
スポンサーリンク【ダウンタウン】のプロフィール
日本発のお笑い芸人の養成所・通称”NSC”の記念すべき1期生として1982年に入学したダウンタウン。
様々なコンビ名を経て、最終的に自身らで命名した『ダウンタウン』という名前に落ち着き、2人とも本名で活動することになりました。当時芸人は芸名で活動するのが当たり前でしたから、本名で活動すること自体、実はとても珍しいことでした。
そもそも松本人志さんは芸名、コンビ名はあまり意味が無いものと思っていたそうで、特にコンビ名についても深く考えていなかったそうですが、そんな2人の新しい漫才は当時の若者たちの心を掴み、やがて大きなムーヴメントを巻き起こし、ダウンタウン旋風が吹き荒れることになりました。
■ダウンタウンは決して最初からエリートでは無かった!? 同期で最初に売れたのは誰??NSC1期生の栄光と現在とは!?
スポンサーリンク浜田 雅功さんの本名・芸名
芸名 | 浜田 雅功(はまだ まさとし) |
本名 | 浜田 雅功(はまだ まさとし) |
生年月日 | 1963年5月11日 |
身長 | 165cm |
体重 | 50kg |
血液型 | A型 |
出身 | 兵庫県尼崎市 |
趣味 | ゲーム、カラオケ、ゴルフ、釣り |
特技 | 鋭いツッコミ、先輩の懐に入り込む |
事務所 | 吉本興業 |
芸歴 | 42年 NSC大阪校1期生 (1982年入学) |
担当 | ツッコミ(向かって右) |
浜田さんは【ダウンタウン】に改名した時点で、芸名は本名をそのまま名乗っており、その後もそれは変わっていません。
しかし、以前は「まさと」「まさし」「青空てるお・はるお時代はいずれか(不明)」など、若手時代は当時の芸人らしい芸名を名乗っていました。正確には事務所の意向で名乗らされていた、というのが正しいかもしれません。
ダウンタウンの人気が爆発した90年代には、俳優としてドラマや映画に出演し、小室ファミリーブーム時にはH Jungle with tとしてCDをリリースし、何と200万枚の売り上げを達成しました。
そんな浜田さんと松本さんがダウンタウン結成に至るエピソード0はひょんなこと。
ダウンタウンのお二人が幼馴染であることは有名ですが、小学校のころはそこまで交流がありませんでした。中学2年生の時に同じクラスになり、ようやく仲良くなります。
ある日、松本さん・伊東さんというお友達たちと遊んでいた時、些細なことから浜田さんと伊東さんは喧嘩になります。
その時、浜田さんが松本さんに「まっつん、もう行こうや」と言った時、松本さんは何となく浜田さんに付いて行ったそうですが、このエピソードでもし松本は伊東さん側に付いて行ったら、ダウンタウンの結成は無かったと度々語っています。
「まっつん行こうや!」と言われて何故か付いて行った…ってもう浪漫でしかないですね…
— 鳴らバレ (@ValleyCodeDeath) December 17, 2018
人生って、本当に些細なことで変わるものなんですね。
スポンサーリンク松本 人志さんの本名・芸名
芸名 | 松本 人志(まつもと ひとし) |
本名 | 松本 人志(まつもと ひとし) |
生年月日 | 1963年9月8日 |
身長 | 172cm |
体重 | 67kg |
血液型 | B型 |
出身 | 兵庫県尼崎市 |
趣味 | ゲーム、ボクシング観戦 ビリヤード |
特技 | 筋トレ、ベンチプレス |
事務所 | 吉本興業 |
芸歴 | 42年 NSC大阪校1期生 (1982年入学) |
担当 | ボケ(向かって左) |
松本人志さんも、浜田さん同様ダウンタウンへ改名した時点で、すでに本名を芸名として名乗っています。
過去には浜田さん同様、「ひとし」「青空てるお・はるお時代はいずれか(不明)」と芸名を事務所の意向で名乗っていた時期もありました。
しかし、コンビ結成当時から松本さんは漫才コンビを結成した時点で、コンビ名は不要だと考えていました。
そのため、これまでも深く悩んだことは無かったようですし、師匠方やお偉いさんが勝手にあれやこれやと自分たちにコンビ名を付けてくるのを、とても嫌がっていたようです。
そこから、すでに一般人と一線を画す感覚ですよね。
そんな「天才」とも称される松本さんですが、意外にもお笑いの道へと誘ったのは浜田さんで、松本さんはすでに就職が決まっており、ボートレーサーの試験に落ちた浜田さんが、たまたま吉本NSC1期生募集のチラシを見て、松本さんを誘ったそうです。
松本さんも、浜田さんほど行動力がある人に誘われなければ、自分はお笑いをやっていなかったと語っています。
スポンサーリンクまとめ
ダウンタウンの同期(NSC1期生)の芸人さんの栄光と現在について、”ほぼ”同期であるとんねるず、ウッチャンナンチャンについても併せてご紹介しました。
- ダウンタウンは最初からエリート街道まっしぐらでは無かった!
- ダウンタウンの同期は半数以上が現在でも芸人として活動しており、俳優、議員など様々な分野で活動する人も!
- とんねるずは先輩で、ウッチャンナンチャンは後輩だが「戦友」と呼べるほど深い絆がある
一日も早く松本さんが復帰され、ダウンタウンとしての出演が実現することを心から祈っています!
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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